海の山城
山城に登る時季は限られています。夏は暑すぎて難儀。冬は雪に閉ざされ山道が閉鎖されます。なので自然と春か秋にドバッと集中的に行くのが私の中の山城サイクルです。
で、5月です。春爛漫毎日良い天気
ん?でも来月はもう梅雨が始まる・・・・
イ、イカン!山城に行かなくてはならんゾ![]()
というわけで急遽計画を立てて、先週末さっそく山城に訪れました。今回セレクトした山城は福井県敦賀市にある『金ヶ崎城』です。
私の住んでる滋賀からですと、福井は鈍行で1時間くらいで行ける距離にあります。福井と言えば昨年、杣山城という城を訪れ道を間違えてエライ目にあったという(詳しくはコチラを参照のほど)記憶が新しいのですが、今回の金ヶ崎城は杣山城よりもっと海側に出た、というよりまんま海に面した山城なんでございます。
『太平記』に「金ヶ崎後攻」という段がありますが、杣山城、そして今回の金ヶ崎城はその舞台となった城です。(詳しい内容はココで)新田義貞率いる南朝軍の北陸戦線の拠点として金ヶ崎城は使用され、太平記・南北朝マニアにはたまらないお城です。しかしながら世間では金ヶ崎城っていったら太平記よりも豊臣秀吉による金ヶ崎撤退戦(詳細はココだ!)のほうがどうやら有名なようです。そりゃまぁ新田義貞より豊臣秀吉だよね、世間の評判ってやつはさ
でもそんなの関係ねぇ!私にとっては金ヶ崎つったら『太平記』、そして新田義貞!んで新田義貞っつったら可哀想な根津甚八だ!文句があるならベルサイユでタイマン張るゼ![]()
金ヶ崎城は敦賀駅から歩いて20分くらいのところにあります。観光案内所に行ったらレンタサイクルを勧められてそれで出発。敦賀は有名な観光名所が市街に集中しているので自転車で行けちゃう距離なんです。だからレンタサイクルはお勧めです。小回り効いて4時間で500円、バス乗るよりもお手軽だと思います
自転車で5分くらいのところに気比神宮があったのでちょっとお参り。景気回復を祈願![]()
ほんで更に自転車で走ること5分。いよいよお目当ての金ヶ崎城に到着です。
登り口の左手には、司馬遼太郎『功名が辻』の金ヶ崎撤退戦時の一文がパネルになってました。
『これが世に出る関門です。耐えられぬということがありますか』だって。なんかカッコいいぞ。
ちょっと登ってすぐに神社金崎宮があります。なんか恋愛関係のお宮らしい。でも景気回復を祈願してきた![]()
そんでもってまた更に登ります。左手に敦賀港を望みながら山道を歩きます。
山道はきちんと整備されているので登りやすく、しかも歩いて10分かそこらですぐ本丸です。標高は100mくらいで、山城としてはとっても低いのですが、三方を海に囲まれた立地が低い標高でも高い防御機能を備えた山城として重宝されたんですね。山道の左側は全部海なんですよ![]()
途中、尊良親王陵墓見込地の碑が立っていました。尊良親王とは、後醍醐天皇の皇子で新田義貞の北陸侵攻の旗印として、弟の恒良親王と共に金ヶ崎城に入城したのです。しかし北朝の足利軍との合戦で大敗を喫し、金ヶ崎が落城寸前に追い込まれると兵と共に自害して果てたという悲劇の皇子様です。
右側の写真は碑が立ってる所から撮ったのですが、このボーボーと生えてる木々を取っ払うと目の前全部海なんですね。都を遠く離れ、北陸の地で命散らした親王の心中はいかばかりであったか。せめてこの雄大な海原の風景が、親王の心を一時でも慰めてくれたのならば、と切に願うのでありました。
で、また登ること5分かそこら。ついに本丸『月見御殿』に到着です。
どうですか皆さん
素晴らしい眺めでしょ
私もう感動してしまいましたよ。山城って名前の通り「山の城」ですから、今まで行った山城っていうと大体山奥の若干辺鄙なところばかりだったんでこの景色にはかなりヤラレました
海、海、海です。やっぱ海っていいな。私海無し県の出身なので海見ただけで嬉しくてしょうがないんです。この感情、海無し県の人ならわかるハズ![]()
眼下は切り立った崖でこれでは攻めるのには難儀です。こういう山城の形もあるんですね。難点といえば、海原の右方面をセメント工場がドーンと場所取っていて、せっかくの美しい敦賀湾の景色が台無しです。空気読んでよ、まったくもう![]()
左の写真は金ヶ崎城の全体図なんですが、これ尾根伝いに右側に登っていくと右の写真、手筒山城にたどり着くんですね。金ヶ崎城よりもっと高いとこから見渡せる展望台があったそうですが、私それ知らなくて下山して真後ろの山を見上げて吃驚
うそぉぉお
まだ登るとこあったの
しかも月見御殿からの眺めよりももっと見晴らし良さそう・・・・うゎぁぁぁやっちまったなぁ・・・・
また来よう敦賀。
それから日本名勝の1つ、『気比の松原』も自転車で10分くらいのところにあったのでここにも行ってきました。琵琶湖の眺めもいいんですが、やっぱ海見ちゃうとかなわないなぁ・・・
海っていいなぁ、でも冬の日本海は修羅場だけどね![]()
帰りにお寿司食べて帰ってきました。日帰りで行ってこれる福井はなかなかの穴場、また遊びに行こう![]()
おまけ![]()
JR敦賀駅前に建っている銅像。古代韓国の王子で日本にやってきた「ツヌガアラヒト」だそうです。敦賀市の「敦賀」という名はこの人に由来するそうです。なんつーかその・・・・なんか笑える像![]()
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コメント
侘助さんこんばんは。少しご無沙汰していたら、山城の記事が!! 遅ればせながらコメントさせて頂きます。
レビュ丸も金ヶ崎城と言えば秀吉よりも義貞!! 絶対義貞!! という派です(笑)。というかフツーは「金ヶ崎城」→「新田義貞」という連想となるかと思うのですが、ん~、侘助さんとレビュ丸くらいでしょうかネ(笑)。ちなみに職場の同僚(全然歴史に興味なし)に突然「金ヶ崎城と言えば?」と聞いてみたら、「・・・知りません。変な質問しないで下さい!!」とのことでした。
それにしても、そんな金ヶ崎城に鈍行で1時間くらいで行ける所にお住まいなんて、うらやましいですね~。関東のレビュ丸にしてみれば、竹田城も金ヶ崎城も、「途方もなく遠いお城」というイメージですが、いつか絶対行きたい!! と、侘助さんの記事を拝読して改めて思いました。
三方を海に囲まれているという立地、「山城になるべくしてなった」と言うべきでしょうか。現地に尊良親王の陵墓見込地なるものが存在するということも、今回初めて知りました。このテの史跡、戦前のにおいがプンプンしますねェ(笑)。ところで侘助さんは、「尊良」の読みは“たかよし”ですか? それとも“たかなが”ですか? 後醍醐の皇子は護良や義良などを含め、レビュ丸など古い人間は「良」は“なが”として読んでいたもので・・・。今どきの大学ではどのように教えているのでしょう。大河の『太平記』は“よし”との読みだったので、正直ちょっと違和感がありました(大塔宮も“おおとうのみや”でなく“だいとうのみや”と認識しておりました)。
『太平記の読み歩き』、素晴らしいサイトを教えて頂き、ありがとうございます!! さっそくチェックせねば!!
投稿: レビュ丸 | 2009年6月 3日 (水) 18時59分
レビュ丸様、こんにちは。
関西の山城は結構南北朝期に作られた城が多いです。大坂の南の方にはかの楠木正成がたてこもった千早城もあるらしく、南北朝マニアにとっては関西の山城は結構要チェックかもしれません。
でも関東だっていっぱい山城ありますよ。
私は関西に来てから本格的に山城登りに熱中したので関東にいるときにもっと関東の山城を制覇しとくんだった・・・と残念な気持ちで一杯です。レビュ丸様、関東の山城に行った際は是非是非教えて下さい!
>「尊良」の読み
これはですね、私は「たかよし」なんです。聞くところによると大河ドラマ『太平記』で「良」を「よし」と読んだ事からこの読み方が全国に普及したようですが、本当なんでしょうか。確かドラマでは「大塔宮」も「おおとうのみや」でしたよね。私も「おおとうのみや」が普通になっちゃってます。逆に「もりながしんのう」「だいとうのみや」ではどうもおさまりが悪いというか、違和感を感じてしまうんです
面白いですよね、時代によってこんなに読み方が違うなんて。
でも前近代の人って結構いい加減というかおおらかというか、名前の漢字表記とか適当なんですよね。「読めりゃいい」て思ってたのか当て字の時が多いんです。そんな感じなんで読み方も「たかよし」だって「たかなが」だってどっちだってOKだと思いますよ(笑)
ちなみに大学時代の先生曰く「訓読みがわからなかったら音読みで読む」のが暗黙の了解なんだそうです。これは今でも私は結構活用しています。
投稿: 侘助 | 2009年6月 4日 (木) 13時23分