いつのまにか日本三大山城を制覇していたことを寿ぐ、の巻
やぁやぁ皆さん、お久しぶりです。春ですね~私の住んでるとこもようやくあったかくなって、家の梅もようやく咲き始めましたよ。あったかくなったのはいいんですけど、私風邪ひいちゃって2日くらい寝込んでたんですよ。やですね~風邪って。風邪ひいて喜んでられんのって学生時代までですね、ホント。
3月末くらいから忙しさがピークになってた土器バイトもちょっとイレギュラーなことがあったもののなんとか終わりましてようやくちょっと一息つける状態になりました。気付いたら1ヶ月もブログほったらかしにしてました。久々の更新です。私が土器と戯れている間に世の中は、某アイドルグループのエースが卒業するとかで金を注ぎ込んだオタク達が悲鳴をあげたとか、JOJOクラスタの期待を一身に背負った荒木先生のスタンド:P・チャン選手が堂々の世界選手権2連覇を果たしたとか、清盛さんの視聴率が下げ止まらないとか。。。色々と起こったようですが、そんな世間の流れなんぞ一切無視してこのブログは我が道を貫きます。
日本人というのは「3」にまつわる言葉がまぁ好きでして「~三羽烏」とか「三大~」とか色んなものに「3」をくっつけたがる民族性があります。当然マイナージャンルである山城にも「三大山城」なるものがあるのです。昨年10月に長野に戻ってつらつら関西の思い出を掘り起こしてみましたところ、どうやら私は日本三大山城を制覇していたことがわかりました。というわけで今回は春爛漫、山城を愛する私が日本三大山城を制覇したことを皆さんに大いに寿いでいただくという内容でっす。え?信タンのレビューはだって?。。うんそれもおいおいやるけど春っていったら山城の季節だから山城のほうが先です。当然です。ところでまさかと思いますが、この期に及んで「山城って何それおいしいの?」と言う方はいないですよ。。。ね?このブログを読むにあたって「山城」は必修科目なので速やかに自習してください (→山城とは)
★もはや国宝級!日本三大山城を完全ガイド!!
三大山城その1:高取城(奈良県)
私が関西に来て初めて登った記念すべき山城である高取城。3年前くらいにブログにしたためたのがあったので詳細はこちらをご覧アレ(→コレ見て) で、高取城さんはどのへんが『日本三大』だったのかというと、比高(本丸から麓までの高低差)が一番高いのが高取城さんだそう。城の入り口(要は麓)から本丸(てっぺん)までの高低差が390m、高低差が大きいほど難攻不落と言われるそうでこのことからも高取城さんはなかなかの山城であることがわかります。もともとは1332年(鎌倉時代後期)南朝方に属していた高取の豪族:越智(おち)八郎という武将が築城した城で、戦国期に本多氏が入城すると平城の築城技術を導入して櫓楼を配し、近世城郭に姿を変えました。近世になると植村氏が居城として使用し、明治まで続きます。石垣だけしか残ってないんですけど結構立派な石垣なので見ごたえはそこそこあります。バスが1時間に2本しか出てないので要注意。
駅からの到達難易度:★★★
三大山城その2:備中松山城(岡山県)
歌舞伎界随一の城マニア:坂東三津五郎様もオススメする備中松山城。現在日本で天守が現存している城郭は12個しかありません。近世城郭界の黄金聖闘士(黄金聖闘士とは)ともいうべき12天守の中で備中松山城は一番標高の高いところに天守が存在するという特徴で日本三大山城の一角を担う地位に登りつめました。山の上に天守があったため、明治に入って廃城令が出された際も「上まで壊しに登るのたり~や(´・ω・`)」って感じで城の取り壊しの憂き目にさらされず現在まで命を保ったというわけです。山城(中世城郭)としての特徴と天守(近世城郭)の特徴という2つの特徴を兼ね備えた備中松山城はさながら善と悪2つの人格を備えた双子座のサガ(双子座のサガとは)を彷彿とさせます。逆に言えば山城という他にない長所故に苛烈な城郭カースト制度(星座カースト制度とは)の中で下位陥落を免れたとも言える訳で、要するに『山城△!』ということです。
訪れた日はあいにくの曇り空でした。行楽シーズンは麓から天守までバスで連れてってくれるみたいです。
天守↓12天守の中では一番ショボイらしいけどこんな山の上にこんだけ建てられるのはゴイス!
石垣もゴイス!これ天然の岩盤の上に更に石垣を積んでるんだよ!カコイイ(・∀・)イイ!
二重櫓↓二層の櫓は珍しく、国の指定文化財になっとるそうな。
備中松山城は小松山という山に建てられてます。小松山ってことは当然大松山もあるわけで、実際城の搦手から更に道が続いていて、そこを登っていけば大松山に辿り着き、そこにも石垣などの遺構があるそうです。(全体図がココで判るよ)元々は1240年にこのあたりの地頭:秋葉重信さんが大松山に山城を築いたのが始まりで、その後大松山・小松山一帯に渡って大規模な城塞が築かれたとのこと。中世城郭ファンとしては大松山まで足を伸ばしたかったのですが、誰も歩いてない感じでなんか怖そうだったので行くのやめました テヘ( ^ω^ ) もっかい行きたいけど(出来れば快晴の日に)そんなに何度も行ける場所ではないな。バスなどがないので駅からは歩きです。歩いて2,30分くらいかかりますが、途中は城下町っぽい街並みなのでそんなにしんどくないと思います。でも1人で歩いてるとかなり目立ちます。ぶれない信念と勇気が必要です。
駅からの到達度★★★★
しかし山城と聖闘士星矢をコラボさせられるとは思わんかった。。。(;´▽`A``
三大山城その3:岩村城(岐阜県)
三大山城のラストを飾るのは本丸が最も高いところ(海抜717m)にある岐阜岩村城です。ちなみに海抜717mってのはなんぼのもんじゃい?というと私が今住んでる長野のとある場所が海抜690mくらいで、夏涼しく、冬クソ寒いところなのでなかなかスゴイところに城を構えていることがわかります。
岩村城は鎌倉時代からこの辺を治めていた岩村遠山氏によって築城され、戦国期まで迎えます。ちなみに遠山の金さんでおなじみの遠山景元はこの岩村遠山氏の分家筋:明知遠山氏の末裔でございます。
また岩村城は『女城主の城』とも呼ばれています。戦国末期、最後の岩村遠山氏:遠山景任が若くして死去した後、彼の妻であるおつやの方が一時期城内を差配したことでそう呼ばれています。おつやの方は織田信長の叔母様で信タンの息子を養子として迎えるなど最初は織田方に味方してました。が、武田軍が攻めてきて信タンが援軍寄越さないもんだからにっちもさっちもいかなくなって武田方の武将:秋山信友に説得されて彼と婚姻を結ぶことで城を無血開城させたのです。で、養子の信タンJrを武田信玄の人質として差し出しちゃったので、そんなこんなで信タンは大激怒。その後、長篠合戦で武田が敗れると岩村城も陥落。秋山信友とおつやの方は逆さ磔で処刑されてしまったのです(ちなみに養子に行った信タンJrは武田から返されて信タンのもとで元服して織田で武将として生きてきます)
時々TVや雑誌等で『上司にしたい戦国武将ランク』なんてやって信タンが間違って上位にランクインされちゃってることがありますが、信タンを上司にしてもし1回でもミスした場合逆さ磔にされながら死ぬか、焼かれながら死ぬかの二択しかないわけで。。。「なんかカコイイから!」という安易な気持ちで信タンを選んでしまったのなら、今一度胸に手を当てて自分の器量を推し量ってみることが必要です。ちなみに私は武田信玄か伊達政宗を選びます。
だいぶ脱線しましたが本題。「日本三大」だけあって岩村城は見所いっぱい!
本丸六段の石垣↓棚田みたいな石垣です。見ごたえ抜群ヽ(´▽`)/
菱櫓↓山の地形に合わせた菱形の石垣(櫓自体も菱形だったとのこと)。非常に珍しい石垣(◎´∀`)ノ
おまけ↓お昼にたまたま入った店で頼んだその名も『お城弁当』(\500) お城の弁当箱に入ってきてるの!欲しい!これ超欲しい~(≧∇≦)
備中松山城と同じく、駅からやや歩きますが途中は田舎城下町の道のりなのでそんなにしんどくない。その代わり岩村城に行くまでのローカル鉄道:明知鉄道のローカル具合がかなりスゴイ。
駅からの到達度:★★★
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ふぅ~~いかがだったでしょうか。日本の宝:三大山城、堪能していただけたでしょうか。私自身も久々に山城記事を書くってのもあって、昔の写真を引っ張り出したら結構見入ってしまいました。当時の記憶がよみがえって来てすごい懐かしかったと同時に、山城っていいよなぁ~と改めて山城の良さをかみしめました。
長野もようやくあったかくなってきましたし、そろそろ山城巡りin関東を考えてみようと思います。
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